前回のブログではエルシーシーが所在する神田神保町の由来のうち、「神田」についてお伝えしました。
今回はその続きの「神保町」です~。
神保町の名は、江戸時代の元禄年間に旗本だった「神保長治」が、この地に995坪もの邸地を賜ったことが由来とされています。
神保長治の屋敷前を通る道は「神保小路」と呼ばれるようになり、明治期には周囲の武家屋敷を加えて南・北・表 ・裏神保町が誕生したとのことです。
昭和に入り町が再編され、周辺の表猿楽町なども吸収して、現在の神保町へと発展していきました。
(「猿楽町」は、江戸時代に猿楽師が住んでいたことにちなむそうです。)
神保町が世界最大規模の本の街へとなるきっかけとなったのは、法律学校を興りとする「神田五大学」― 明治・中央・法政・日大・専修の各大学がこの界隈に集ったことでした。
専門学校も増え、神保町に隣接する神田駿河台・御茶ノ水は学生街を形成していきました。日本のカルチェ・ラタンと呼ばれるようになっていきます。
これにより大量の知識人・教養人が神保町に足を運ぶようになり、その需要に応えるべく古本屋が店舗を構えるようになりました。
明治期にはすでに三省堂が古本屋を開業しています。その後三省堂は、当時大型で高額だった辞書を小型化してより実用的な辞書として出版したところ、大当たりし、“辞書は三省堂”と称される基礎を築いたそうです。
大正時代には同じく古書店を始めた岩波茂雄が、夏目漱石の「こころ」を出版しました。岩波書店のはじまりですね。
以後、これらの出版社の成功に倣って、神保町には数多くの古書店・出版社が新設されていきました。
現在では大型新刊書店に大小無数の古書店が存在し、その数は180近く!にもなるとのこと。
また、書店や出版社の新設に伴い、読書の場を提供すべく喫茶店の開業も相次ぎました。
今でも路地裏のあちらこちらに、超レトロな趣きを漂わすお店を見ることができます。
インターネットや大型ブックチェーン店で新刊や中古本が買えるようになった今日でも、本探しに訪れる多くの人たちで、神田神保町は毎日賑わっています!
神田古本祭りや神保町ブックフェスティバル等、本に関するイベントも毎年行われています。
実は神保町は、中国料理やインドカレーをはじめとするグルメの街としても知られています。
かの周恩来が日本留学時に足しげく通った中国料理店が、今でも営業を続けているんですよ~。
もし機会がありましたら、神田神保町にある昔ながらの佇まいを残すカフェ、と言うより、喫茶店と言った方がしっくりくるお店で、美味しいコーヒーでも飲みながら、お気に入りの本のページをゆっくりと開いてみるのはいかがでしょうか♪